2013-11-07 第185回国会 衆議院 本会議 第8号
日露戦争時にロシアでの内部工作に成功した当時の明石元二郎大佐は、後に大将として遇されましたが、明石大将以降は、情報将校の出世は中将どまりで、大将は出ていません。このことが示しているように、日露戦争以後の我が国の情報軽視の風潮が、我が国の道を誤らせた大きな原因の一つと反省する必要があります。
日露戦争時にロシアでの内部工作に成功した当時の明石元二郎大佐は、後に大将として遇されましたが、明石大将以降は、情報将校の出世は中将どまりで、大将は出ていません。このことが示しているように、日露戦争以後の我が国の情報軽視の風潮が、我が国の道を誤らせた大きな原因の一つと反省する必要があります。
こういった情報将校は、明石元二郎大佐が大将になりました。しかし、この後、情報畑の軍人で大将になった人は一人もいないんですよ。全部中将で終わったんです。やはり情報というものをだんだん軽視していって日本が敗戦に追い込まれたということを、私は大変象徴的だと思います。
実は、この情報を、陸軍の情報将校は五月の段階で入手していた。それを、後、六月、七月というふうに、日本の軍部の首脳は、それを知らずにということでもあるんですが、国策を変えることができなかった。
大体、情報将校って偉くなりませんから。長い長い歴史ですよ、この国の。僕は本当にそう思っているわけで、だから、何となく、昔から忍者というのは大体、大名のお目見え以下ということになっていますでしょう。 だから、日本でも今、陸上自衛隊で情報部が将官になったのはいつからです。ついこの間の話ですよ、それまでは一佐にしかなれませんから。情報上がりはなれなかったじゃないですか。
イギリスなんかに行けば、情報将校は絶対にサーのタイトルがみんなついておるぐらいかなり差がありますし、日本でも情報関係が将になりましたのはつい最近で、それまで佐にしかなっておらぬと思いますので、基本的には、昔からの流れもあろうと思いますが、これから改めて理解を得て進めていかねばならぬ大事な点の一つだと存じます。
された旨、また裁判所に提出された書類においてFBIは、スミスが一九八二年十一月、東京のソ迦通商代表部内においてビクトル・I・オクネフに会い、INSCOMの二重エージェント作戦、いわゆるソ連側の二重エージェントを摘発する作戦、この二重エ-ジェント作戦であるロイヤル・マイター作戦に関する機密情報を渡し、オクネフから一万一千ドルを現金で受け取ったことを認めた旨、FBIは、オクネフはソ連情報機関KGBの情報将校
元海軍情報将校であるというふうに書いてあることは間違いないわけですね。 そこで、その本の中にあるのかどうかあれなんですが、レフチェンコの前任者にプロニコフというのがいましたよね。御存じでしょう。いまのその本の中にプロニコフの発言として「連中はたった四、五回会っただけの人間をエージェントに仕立てている。日本では前代未聞の話だ。
○山田(英)政府委員 これは外務省の方にお尋ねいただくと、外国人に関することでございますからより正確な答弁があると思いますが、私が承知しておるのは、この現に今回の証言内容の載っておる「KGBツデー」という本の後に、元海軍情報将校であるということが履歴としては出ておると承知しております。
○和田静夫君 ジョン・バロン、本名はよくわかりませんが、元海軍情報将校、いま言われたとおり。一九五三年—五九年の間、対ソ諜報活動に従事した経歴の持ち主である。バロンは、昨年十一月のリーダーズダイジェストに「反核平和運動とKGB」というレポートを書いていますね。このレポートは、KGBが反核運動を操っているとバロンさんは主張をしているわけです。
○政府委員(枝村純郎君) ジョン・バロン氏は一九三〇年の生まれでございまして、一九五〇年代には海軍の情報将校をしておったというふうに承知しております。現在はアメリカ版のリーダーズダイジェスト・ワシントン総局主任編集員という立場にございます。
そこで大使館としましては、タイ側の情報将校、それから国際機関の職員の方々とも十分連絡をとりまして、このカンボジア問題にまつわります戦争等あるいは小競り合い等に巻き込まれないように十分対処しておるところでございます。個人のマン・ツー・マンでの安全の確保ということになりますと限界はおのずからあるわけでございますが、できるだけその面でも配慮すべく、大使館としては努力いたしておるわけでございます。
大体頻度は三月に一回ぐらい、あとは随時だと思うんだけれど、それにはアメリカをもちろん中心にして、オーストラリアとか、それからニュージーランドとか、たまにイギリスとかいう情報将校が参加しているわけですよ。あるいは作戦参謀が参加しているわけですよ。これ、海上自衛隊の連絡将校というのはときどきメンバーに、あるいはオブザーバーとして加わっている形跡ありますか、事実ありますか。
しかしながら、エネルギー高価格時代においては非常に不経済なので、地価の安いところに中層ビルをつくるようにし、そして東京には情報将校だけ集めて、情報処理部隊は集められないように持っていく。たとえばロンドンのように、パリもそうですが、都心部は高層ビルの建設を原則禁止。
韓国の情報将校もかかわっていた事実もあります。これらを含めて、この重大問題についてどんな調査をし、どのように責任をとるのか、防衛庁長官の答弁を求めます。 以上、事はわが国の平和と民主主義にかかわる問題であり、総理と関係大臣の明確な答弁を求めて、私の質問を終わります。(拍手) 〔国務大臣福田赳夫君登壇、拍手〕
旧軍の情報将校を顧問あるいは嘱託とし、また一時校長もあったわけですね。で、旧軍のスパイ教科書を教育資料として印刷配付、教育している。そういう調査学校のこういう中野学校の完全な復活のようなあり方、これは憲法前文、憲法九十八条、憲法九十九条、こういうものに照らしてどうお考えになりますか。
○上田耕一郎君 しかし、この「青桐」には、藤本巧郎という元憲兵大尉で、二十数年間の情報将校の経歴があり、中野学校を創設した秋草中尉から手取り足取りして教わったと、自分で藤本巧郎氏がこれに調校嘱託として書いております。編集後記にも調校嘱託と書いてあります。調査学校へ私行ったときも、嘱託制度はないと言いました。これにあるんだけど、どういうことですか。再調査を要求します。
○上田耕一郎君 鈴木氏は元陸軍大佐で、旧関東軍の情報将校であります。その後、広東の百四師団の参謀長になった人。曽田峰一氏は、元憲兵大佐で、有名な中野学校の教官であったのではないかと思われます。こういうところに戦犯政治があらわれている。私先ほど申しました。この講義内容はまことに大変なものであります。
現在の韓国政府が、朴大統領、金首相などアメリカのCIAに育てられた情報将校出身者を首脳とし、クーデターによる政権獲得後も、一貫してアメリカの軍事力、経済力によって育成されてきたかいらい政府であることは世界の常識であります。
そういう部面を直さなければ、せっかく行った意味がないということもございますし、あるいは部内におきましても情報系統というものの権威、権限と申しますか、あるいはそういう地位というものが非常に低いようではいい情報将校が生まれてこないのです。パイロットがおり、整備関係がおり、あるいは大砲屋がおると同じように、情報量というものが育ってこなければ、いい情報分析が生まれてこないのです。
まず米軍の軍規によれば、たとえどんな情報将校であろうとも、日本において核兵器のことについては否定も肯定もしてはいけない、こういう心得があるのです。それをないと聞いた。インチキではありませんか、そんなことは。そう言った人がいれば、この心得に反するのだ。
それからソ連代表部の情報将校と連絡を持っていたという疑いで逮捕されたのが、同じく内調関係の外務省の出向役人が三人、そのうち一人は検事の取り調べ中に、二階から飛びおりて自殺をされておられます。こういう事件がある。
それは小野田元少尉は中野学校出身で情報将校だ。従って、たとい肉親が行って幸いにして肉親と会い得ても、それでお前は無事に帰れると言っても、絶対出てこないと思う。出てきたら、必ずマニラに引っぱられて裁判にかけられて、極刑に処せられるという心配を持つから。そこでフィリピンに対して要請してもらいたい。
しかも小野田元少尉は情報将校ときておりますから、従って追いつめられてくると、自決する危険も生じます。従って、これは大使館を通じて現地に——まことに外交上の事例としてもむずかしいわけでしょうけれども、そこを何とか、そういう処置はいろいろございましょう、してはならぬとは言いませんが、二人をほんとうに助けたいなら、何らか別な方法を考えてもらわなくちゃならぬ。
これは二月七日でございますが、翌日の二月八日にはまた幕僚長のユンヘンテという大佐以下四名の情報将校と山岳部隊の一個小隊——これは三十名と軍用犬が二頭だそうでございますが、これを派遣いたしまして、すでに活動しておりました西ネグロス州の警察部隊長のヴィレニア少佐とその配下の小隊を援助せしめております。